kzm_mknのブログ

つぶやきに入りきれないときに

舞台「半神」を観て個人的考察

普段ブログを書くことはあまりないのだが、先日東京と大阪で舞台「半神」を観て自分なりの考察を残したいという気持ちが生まれたので書きたいと思う。ツイッターではとんでもないツイート量になりそうだったのでブログに書こうと思うが、ブログはあまり慣れてないのでご了承を。

 

ただし、舞台を2回しか見てないので曖昧な記憶や見当違いの部分があったり、この舞台の全てを理解できたわけではないことを先にお伝えしたい。あくまで自分がこの舞台を観た範囲で考えたこと感じたことを書くつもりである。以下考察↓

 

この舞台を最初に予習なし初見で東京公演を観たとき、結果として手術で生き残ったのはシュラではなくマリアの方だと視覚的に思ってしまった。心はシュラで体がマリアという形で一人になったんだと考えていた。そう考えてしまったおかげで終盤の内容がよく理解できなかったわけだが。

 

そしてその後に半神の原作を読んで、原作では生き残ったのが姉の方だと知って、「へぇ〜原作ではこんな展開なんだぁ」とそのときは特に何も重要な意味があるとは思いもしなかった。

 

原作を読んだ上で2回目を観ることになった大阪公演、内容はすでに分かっている状態で改めて観ると序盤にいろんな伏線が貼られていたことに気付いて「おぉ、この舞台は改めて観ると奥が深いんだなぁ」と思いながら観ていた。

 

そして自分にとって衝撃的な時はきた。手術後に生き残ったマリアが化け物の世界に行こうとしたとき、

マリア「グルグルと回るような感覚、手術のときも覚えがある」

家庭教師の先生「そのとき君の隣にいたのはマリアとシュラどっち?」

マリア「マリア!?...やっぱりシュラ!?...」

のような流れのシーンを観てハッと気づいた。

 

この光景どこかで見覚えあるかと思ったら原作でのラストの部分だ。原作ラストでは生き残ったシュラが体調回復してマリアの容姿になって自分の顔を鏡で見たとき果たして自分はシュラなのかマリアなのか?あのとき死んだのはどっちなんだ?と苦悩するシーンを思い出した。(※実際には原作のシャム姉妹の名前は舞台とは違う)

 

そのとき自分が1回目に観劇した時の解釈はまるっきり違うものじゃないかと思い始めた。手術が終わった後に舞台上に出てきたのはマリア役の藤間爽子さんだった。そして言葉や仕草がシュラに似ていたから「体はマリアで心はシュラ」と1回目の観劇の時はそう考えていた。

 

でも原作を読んだ後の2回目では「見た目はマリアだけれどもこれはマリアのような容姿になったシュラ、身体的にシュラの体。原作にもあるように手術で体が別々になったシュラは自ら生成される養分によって美しさを取り戻しマリアのような容姿になった」という考えにたどり着いた。つまり手術後のシーンでは藤間爽子さんはシュラ役として演じていたということ

 

そうなると手術後での化け物の世界か手術の回想シーンか(記憶曖昧)でシュラとマリアが2人で出てきたとき、藤間爽子さんはハキハキと喋り、桜井玲香さんは途切れ途切れに言葉を話していたのがようやく腑に落ちた。前述のとおり藤間さんはシュラ役を、そして玲香さんは手術後自分で養分が生成できず醜くやせ細った、それはまるで以前のシュラみたいな容姿になったマリアを演じていたというわけだ。

 

その考えでいくと低血圧(か高血圧かどっちか?)のおじいちゃんが「孤独は人間になる娘にあげよう(シュラ藤間さんの方を見る)。そして君には(マリア玲香さんを見て)音を作ってあげよう」と言ったセリフにも納得がいく。シュラは人間となりマリアは天使となった。

 

そしてこのあとのシーンでシュラと家庭教師の先生が出会って、シュラ「誰?」

先生「君の先生だよ」「さっき黒い棺とすれ違った」

シュラ「あれは私の妹なの」「私たちはくっついてたの」

先生「くっついてた?そんなまさか」

とまるでシュラと先生が初対面のような会話をしていて最初に見たときこれがどういうことなのかよく分からなかった。

 

これについての自分なりの解釈はシュラが螺旋方程式の謎を解いたことで時空が歪んだのではないかと考えた。「マリアと体がつながっていた」という記憶を持ったまま、「シュラとマリアが別々の体として生まれた世界」で、シュラと先生が出会うところに時間が巻き戻った。

 

なぜ時空が歪んだのかと考えたら螺旋方程式の謎を解くことはそれくらいの影響力があっても不思議じゃないという勝手な憶測だから何も根拠はない。他にもマリアの妊娠やおじいちゃんと家庭教師の先生が同一人物ということがどういうことを意味しているか考えてみたけれども、いまだに自分の中で腑に落ちた解釈が生まれないからこれは謎のままで置いておく。

 

以上が舞台半神を観ての自分なりの解釈である。2回目の観劇でストンと腑に落ちた部分もあったがまだモヤモヤと分からないところもあるので、戯曲の半神や他の方の考察ブログも読んでみたい。新たな発見があるかもしれないし、また解釈が変わっていくかもしれない。